中2で知った天井
阪神淡路大震災から26年
約6500名の方が亡くなった戦後最大の地震。
あの日、朝練に間に合うよう起きる寸前で
体験したことの無い地響きで布団から出れなかったのを覚えています。
とりあえず登校したものの
授業なく帰った記憶があります。
確か、その3月に東播2位で県大会の出場が決まってたが勿論中止。
バスケ馬鹿だった自分は絶望感に包まれたのも記憶している。
しばらく後に震災で
特別に近畿地方の交流大会が実施され兵庫県代表の数校として参加しました。
今振り返るとあの大会がかけがえのない経験だった。
初めて味わった大敗。
京都の洛西中vs兵庫の平岡
当時は前半・後半の試合形式でいまのクォーター制じゃなく
前半終わって50-2
ボールがハーフラインすら越えられない展開。
攻める間すらシュートすら打たしてもらえず試合にならない。
自分達はバスケが強いと思い込んでたのは
まさに
『井の中の蛙大海を知らず』だった。
まさに戦意喪失するほどの内容で
後半なんて記憶にすら残ってない…
その洛西は後に全国制覇し日本一になり
そのメンバー達はゆくゆく伝説の能代工業の連中となった。
中2で知った天井との差。
その経験が後に何にでもハングリーにさせてくれたきっかけだと思っている。
阪神淡路大震災を思い返すと必ず
その記憶が蘇ります。